がちで?やっちゃう?

G'day徳島がお送りする徳島のローカルな情報

オーストラリア時代の体験談 By記者D

f:id:gdaytokushima:20160929190430j:plain⚠︎今回は記者が体験したことをガシガシ書くだけの記事になってます。

 

これまでにG'dayの記者たちは東京、そしてオーストラリアといった徳島では得られなかった経験をすることができた。

そんな刺激あふれる日々を感じ生き抜いてきた2人が、「よくよく考えたら徳島つまんなかったな」という想いで始めたのがG'day徳島だ。

 

もちろん地元なのに愛せないのは寂しいという想いもあったのだが、そもそもはつまらないのが理由でそうなってるのでまあ実際には「つまらないから始めたメディア」である。

 

記者Dがオーストラリア時代に刺激を受け生き抜いてきたという経験は、そもそもは中学時代から視野に入れていた「ワーキングホリデー」という道が活きたのだ。

 

ちなみにワーホリ=ワーキングホリデー

多くの人がワーホリとは何かの制度やプランを練ってくれる会社か何かなどと勘違いしている節を感じてきたが、ワーホリとはただのビザの名前。

ビザとは外国で暮らす場合に必要な書類である。(最近では電書化もされている)

 

2014年5月に私はオーストラリアはシドニーという街へ地元のクソ田舎徳島から旅立った。

www.gdaytokushima.com

私の超アバウトな情報はここに記してあるが、体験のでディティールを私は語らないことが多く、過去にもあまり書いていないので少し書こうと思う。

 

まず2014年の5月にシドニーへ舞い降りてからはホームステイを10日間ほどした。

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シドニーに行く際には「ラストリゾート」というエージェント会社を利用したが、ここは手数料もぼったくられ訳のわからない場所(シドニー中心地からバスで2時間)という距離のホームステイ先を契約させられたり、ワーホリメーカーからは悪名高いエージェントを利用してしまったのが原因でお金がないままシドニーへ向かった。

 

10日間のホームステイを終えシェアハウス探しが始まる。

当時18歳の私は大の面倒くさがり屋でことの重大さも軽く考えがちのバカだったのでテキトーにシェアハウスを決めるのだった。

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この1.5畳ほどの部屋(サンルームという洗濯物を干す場所)に一週間$175という大金を払い生活をしていた。

$175というと$1を100円と考えると17500円。

バカだ。

この選択ミスのせいで所持金はみるみる消え、自分のお金で生活したことがなかった当時の私の全財産はなんと

$11(1100円)に。

 

正直この頃は死ぬかと思った。

実はこの頃同時進行でホームシックにかかる。

1年間付き合っていた日本の彼女と遠距離恋愛をして別れたこともあったり、18年間ずっと世話をみてくれた友達や家族との長い別れ、そして降りかかる大金欠。

 

食べるものもなくなり、友達に米をもらいその日をしのいでいた私は入国1ヶ月目でアルバイトを始める。

ラーメン屋だ。

しかしここのラーメン屋は1ヶ月程度でやめてしまう。

理由としては

社長に餃子の焼き方について日本語で怒られたから。

 

日本でのバイトと変わりないことに腹を立て、「こんなことをするためにシドニーにきたんじゃない!」という浅はかな考えでお金もないのに辞めてしまった。

本当にバカだ。

 

そんなこともあり日本食レストランなんかで二度と働くかと謎に腹をくくった。

実はこの頃の私のホームシックは絶頂期。

ピアモントブリッジから飛び降りて死んでやろうと本気で考えていたくらいだった。

見かねた母親が仕送りをしてくれたおかげでなんとか生きてこれたのだった。

 

いろいろあったシドニーでの生活は半年で終え、次は旅が始まる。

 

楽しかった半年間のシドニー生活を終え、ファームジョブ(農作業)をしに行かないといけない状況の私たちが次に向かったのは

タスマニア島

あのタスマニアデビルが世界で唯一生息するという島である。

タスマニアデビル - Wikipedia

 

なぜタスマニアを選んだのかというと、

「若いうちにただ死ぬ想いをもっとしておきたい」

シンプルなそんな想いだけで航空券だけを購入して旅立った。

この時はシェアメイトだった日本人男性2人でニコニコ旅立った。

 

もちろん着いた日の宿などはブッキングしていない2人の計画性の無さ。

偶然空港で仲良くなったタスマニアローカルのマダムが車に乗せてってくれるというので甘えることに。

 旅人なら当たり前に知られているバックパッカーズホテルYHAまで連れてってもらい、その日の宿は決まる。

仕事はこのYHAに泊まってる旅人に聞こうということになり、つたない英語で旅人たちに話しかける。

 

偶然中国人の女性が仕事を紹介してくれるバックパッカーズホテルを知っているというので紹介してもらうことに。

タスマニアの中心ホバートからバスで2時間ほどの山奥にあるHuonvillという町についた。

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不安がる若かりし記者

リトルデビルバックパッカーズホテルという場所にたどり着く。

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目に入ってくるホームレス感の強い土地。。

18歳人生で初めてのテント暮らしが始まるのだ。

 

まさかこんなことになるとは思ってもいなかった。

死ぬ想いがしたいと言ってはいるものの、せめてちゃんとした建物で住めるだろうと思っていた。。

 

ごちゃごちゃ言ってる暇はない。ここで暮らして仕事を手に入れないといけないのだ。

受付の方に話をし契約の話を進める。

 

「ベッドは余ってないの?」

「余ってたらテントで暮らしてる奴なんかいないだろ。」

「だよね、おれらもテント暮らしになるの?」

「そうだよ。」

訳のわからないことを喋り契約金(多分$400くらい)を払い、週払いの家賃を聞く。

週$100(1万円)

まさか自分達が建てたテントにお金を払うことになるとは。

とにかくお金が必要。

自炊するための出費やテント代、家賃も払わなきゃいけないし携帯代もシャワー代(一回$2)を稼がなければいけない。

⚠︎バックパッカーズホテルとは生活を面倒見てくれる場所ではありません。

 

まず斡旋してもらった仕事はストロベリーピッキングの仕事。

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このケース一杯(実はこれでも足りないと言われるくらい)のいちごをピッキングするという歩合制の仕事だ。

このワンケースでもらえる金額は$4(400円)

このケース一杯積むのに30〜50分くらい掛かるので時給にすると訳のわからない値段で働いていた。

 

他にも家畜が食べる干し草ロールをぶん投げるだけの仕事や、りんごピッキングの仕事なども1ヶ月くらい継続した。

 

テント暮らしをしていると日本人の仲間2人と仲良くなり、シェアメイトと自分と仲間2人、計4人で車を購入することに。

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TOYOTA CAMRYを$1200(12万円)で購入。

割り勘で1人あたり$300(3万円)程度で買えた。

何気に人生で初めての車の購入が海外のど田舎だったのが今でも自慢に思っている。笑

 

この車に4人乗り込みバックパックにキャリーケース×2個。

パンパンの状態で島を回る。仕事探しの旅である。

 

タスマニア島はほぼ一周した。

2週間くらい掛けて仕事探しをしたが、見つからないのだ。

農家にアポも取らず突っ込み仕事をくれと4人で向かうあの刺激を忘れることはないだろう。

タスマニアは諦めオーストラリア本土にフェリーに車を乗せ渡る。

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魔女の宅急便の時計台のモデルにもなった場所。

メルボルンにたどり着く。

 

 メルボルンから車で2日間掛けてき北のサウスオーストラリア州のワイン造りが有名な「ペノーラ」という町を目指す。

この2日間は今までで一番ハード。

風呂に入ることもできずお金がないので外食する余裕もない、隣町にたどり着いたところで夜を過ぎていたのでスーパーも開いてなけりゃ宿も空いてない。

車内泊をしたり、森に入り火を起こしトイレの水道水をヤカンに入れ温め買っておいたカップラーメン1パックを4人で分けるなど、結構サバイバルな体験もした。

 

そんなこともありながらペノーラに到着。

 ここでは人生で初めてのキャラバン暮らしが始まる。

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キャラバンとは移動型の家のようなもので、トラックの荷台的なものを改造してキッチンをつけたりガスを設置したり、水道も設置、ベッドも配置し簡単な家みたいなものだ。

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 実際に私たちが生活していたキャラバンの様子

これまでに車内泊やテント暮らしをしていた私たちはこのキャラバンが天国のように感じとっても幸せを感じていたことは言うまでもない。

 

ちなみにここでは1週間ほどぶどうピッキングの仕事をしながら滞在し、私はワイン造りの仕事をするためアデレードという町に移動する

 

ここでの仕事は1日の半分以上をぶどうを積むという仕事だった。

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あとの半分はワイン造り。ぶどうを潰す作業をしたりテイスティングしたり甘さを機械で測り日々日記のようなものにつけていくという仕事を3ヶ月間続けた。

ここでは美味しいワインに出会うことができ、今の私もこの経験が良かったのか悪かったのかはわからないがインスパイアをかなり受けワインに対する舌が完全に肥えてしまったのは言うまでもない。

 

3ヶ月間のワイン造りの仕事を終え、無事オーストラリアにもう一年住むことができるというビザが無事ゲットできることを確信したところで、私の半年に及ぶ旅は終了したのだった。

 

 

後編に続く。。

 

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